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国道191号ライドしてきました [自転車]

皆さん、こんにちは。

午前中はこの時期らしいすがすがしい天気でしたが、徐々に天気は下り坂のようで、今は曇り空です。

さて、昨日国道191号ライドを実施しましたので、その報告です。
朝4時に起床し、朝食や準備を済ませ5時過ぎに出発しました。
日の出前でまだ薄暗かったのでヘッドライトのスイッチを押したら、全く光りません。
バッテリーを交換し、再度スタートです(苦笑)。

気温は5度台で、この時期としてはかなり冷えていました。
服装は半袖上下にアームカバーとレッグカバー、指ありの春秋用グローブでしたが、正直寒かったです。
可部が一番冷えていまして、EDGE830の温度計では4.3度でした。
真冬の暖かい朝と同じ気温を真夏の格好で走っている訳ですから、地獄でした。
そのうち腕の感覚がなくなり、ハンドルを握っているのがやっとでした。

7時ごろ戸河内インターに辿り着き、コンビニで菓子パンを買って食べ、道の駅でトイレを済ませ、ウィンドブレーカーを着て再出発しました。
早く着ておけばよかったです(苦笑)。

三段峡入口を過ぎると登りに入りますし、日がずいぶん高くなって気温も上がってきたので、板ヶ谷のチェーン脱着場でウィンドブレーカーを脱ぎました。

深入山を通り過ぎるぐらいでは10度ぐらいで、とても気持ちが良かったです。
9時過ぎに島根県境に到達しました。
親から電話の着信があったのでかけ直してみると、自分を追いかけて8時にキャンピングカーで出発し、加計の手前を走っているとのことでした。

ここから出合原まではずっと下りですので、登りで使った脚を休めました。
ただ、昨日は走り始めたぐらいから右足の膝の外側に痛みがあり、時々ビンディングを外して走っていました。
先日のしまなみでは黄色いクリートを付けたRC9で走り別に何ともなかったのですが、昨日は青いクリートを付けたRC7で走っていました。
クリートの角度が合っていないのかな?

出合原の道の駅(匹見峡)はパスし、美都温泉の道の駅を目指しました。
実はこの区間の下りが強烈なんです。
カーブの連続でしかも勾配がややきつめで、コーナリングのテクニックが要求されます。
後ろから車が来ていないことを確認しながら、若干攻め気味にダウンヒルを楽しみました。
で、美都温泉の道の駅でお菓子を食べながら休憩しました。

美都温泉から益田までも下りばかりです。
市街地が近づくにつれ、徐々に交通量が増えます。
益田は一昨年2か月近く生活したので、どこにどういう飲食店があるかは把握しています。
11時ごろでしたが、一番手っ取り早いすき家で昼食にしました。
朝食が4時台ですから、途中おやつを2度食べているとはいえ、遅いぐらいの昼食になりました。
すき家を出て出発する準備をしていたら両親が追い付きました。
車は速いですねぇ。
両親は自分と入れ違いで昼食を済ませ、後ろからのんびり追いかけると言っていました。

益田から時々海岸線を走ることになりますが、途中でも強めに吹いていた西風が結構強めに吹いていました。
海辺は遮るものがないから風が強いのでしょうね。
平地なのに20キロ台前半、よくて25キロぐらいのペースで西進しました。
で、島根と山口の県境に向けて、また峠道を上っていきます。
登り勾配で結構長いトンネルが2か所あり、ちょっと怖かったです。
コロナ禍とはいえ、結構交通量が多かったです。
ナンバーを見ていると、島根、広島、山口が圧倒的に多いのですが、時々関西圏や関東圏のナンバーもいました。
人のことは言えませんが、結構な人が動き回っていますね。
ただ、自転車は常に疎ですから、密になることはありません。

田万川の道の駅はパスし、須佐駅で休憩していたら再度親が追い付いてきました。
少し話をして再度先に出発しました。
この先にもさほど大したことはなかったですが、長いトンネルが続く峠道がありました。
こちらは確か下り基調だったように記憶しています。
ただ、既に140km以上走っていたので、両足とも辛くなっていて、阿武町の道の駅に寄りました。
少し休んで出発し、道の駅萩しーまーとまで走りました。
萩で180kmを超えました。
時間は14時を回っていたと思います。
残り100kmですが、疲労度と風向きを考えると、5時間はかかるかなと思っていました。

しっかり休んでつもりでも、体は確実に消耗していました。
萩の街を抜けると、徐々に山深く進んでいきます。
日陰が全くない急な登りが延々と続き、周りの山より高く登ってきました。
一体どこまで登らせるつもりだと思い登っていくと、峠の標高は220mぐらいとのこと。
疲れ切った体にはかなり堪えました。
まあ、その分、下りは楽しませていただきました。

長門の旧三隅町から先はしばらくバイパスを走り、長門の街を通り過ぎました。
ドリンクが底をつき、おまけにハンガーノック直前って感じで、休みたいのにコンビニは反対側にしかなく、おまけにあまり数もないので、旧日置町に向けての峠道に入ってしまいました。
絶望しかけていたら、左にあった会社の前に自販機があるのを発見し、そこで止まりました。
ボトルにアクエリアスを補充し、500mmの水を飲み干し、少し休んでから出発しました。
日置町はそのまま通り過ぎましたが、旧油谷町に入るとさすがに空腹が我慢できなくなり、コンビニに寄りお菓子を結構食べました。
この辺りで200kmを超えたと思います。

いくらお腹を満たしても、脚の痛みは取れるどころかひどくなる一方です。
ちょっとした登り坂でも足が痛くて踏み込めず、信号で止まると出発するのに一苦労といった具合でした。
何とか旧豊北町(現下関市)に入り、角島に向かう交差点を過ぎた辺りで休憩しました。
正直、膝は限界を超えていた感じです。
時間はちょうど17時だったと思います。
親が特牛で待っているというので、走り始めました。
道の駅北浦街道豊北で止まり、ここでリタイヤすることにしました。
単独走であれば、下関まで走るか山陰本線に乗るかの二択ですが、親父が広島まで運転することを考えると、ここが引き時かなと思った次第です。
17時半ぐらいでしたが、このまま下関まで残り40km走ったとしても2時間はかかりますし、そこから広島に向けて走ると帰宅が深夜になりますし。
下関駅まで行きたかったですが、一応下関市(合併後の市域だから違うといえば違うけど)まで到達したということで、いつかリベンジします!

走行距離は244.7km、走行時間は9時間59分13秒とのこと。
244kmも過去最長ですが、10時間も漕ぎ続けたのも初めてです。
休憩も含めると12時間半ぐらいかかりました。

途中美東SAで瓦そばを食べ、キャンピングカーの後ろでゴロゴロしながら帰りました。
所々記憶のない区間がありますが、多分寝ていたのでしょうね(笑)。
ちなみに、親父のキャンピングカーはアネックスのリコルソで、ハイエースワゴンの改造で3ナンバー10人乗り(就寝2~3名)だった頃のモデルです。
ですので、後部座席(ベッド)に横向き着座(シートベルトもなし)が認められています。
今考えると、横向き着座でシートベルトなしで座るのは、極めて困難ですけどね。
法改正で、今は8ナンバー8人乗り(就寝3名)となっています。

自分がトランポ仕様のハイエースバン(標準サイズ)を購入したのは、必要な時に貸してもらえるということもありますが、バンコンタイプのキャンピングカーには、自転車を積む余裕がないからです。

余談が長くなりましたが、21時ごろ家に到着しました。
本来なら広島駅からも自転車で帰宅するところ、車で連れて帰ってくれた両親に感謝です。

右脚は膝関節の外側に、左足は膝の皿の周りに痛みがある感じです。
太ももとかふくらはぎにはそれほどダメージは溜まっていない感じです。
昨夜は階段を降りるのがしんどかったですが、今日はだいぶ回復しています。
でも、今日明日ぐらいは自転車には乗りませんよ(笑)。
毎日数百キロ走る旅人さん、すごすぎます。尊敬します。
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