SSブログ

能登半島地震復興支援を振り返る(3/25) [雑記]

3/25の活動を振り返ります。

金沢駅の集合が11時と遅かったため、ホテルは10時ぎりぎりにチェックアウトしました。
この時間は、東京から来る人たちに合わせて設定されており、広島からだと始発に乗らないと間に合いません。
ということで前泊させてもらった感じです。
チェックアウトしてから、派遣者用の荷物置き場として使わせていただいている関係先のオフィスを訪問しました。
被災直後の野営に近いような頃に必要だったような物資ばかりでしたので、今は宿に宿泊できることもあり、特に何も持ち出しませんでした。

で、他地域からの同僚たちと合流し、志賀・穴水、輪島・門前、能登・珠洲の3チームに分かれ、ワゴン車で運ばれていきました。
自分は能登町ですので、珠洲市に行く人たちと一緒でした。
全員お初にお目にかかる方ばかりで、ほぼ会話はなしでした。
内灘町に向け走り、のと里山海道をひた走りました。
片側2車線で80km制限なのに無料ってすごい。
ただ、羽咋(はくい:この歳になって初めて読み方を知った)から先は、徐々に道路に段差が目立つようになり、七尾から先は、正直なところ通行止めレベルの道路を無理矢理開通させているといった感じでした。
対面通行の区間なのですが、2車線とも崩落しているような箇所は、路肩の法面を開削して1車線の道路を作っていました。
そんな箇所ばかりで、日本ではありえないような道路環境でした。
これは当分全面復旧しないだろうな。

能登空港のところでのと里山海道を下り、東に向かいました。
道路は所々大きな段差があり、山を見ると至る所で崖崩れが起きています。
何ともない地区と被害がある地区がはっきり分かれるような感じがしました。

金沢の天気は雨でしたが、こちらは終日曇り空でした。
旧柳田町から南下し、能登町役場のある宇出津地区に到着しました。
到着後は、前任者2人からの引継ぎを受け、町役場の担当者へのあいさつ回りをしました。

能登町役場は、数年前に移設新築したみたいでしたが、周囲は所々アスファルトが波打っていたり、インターロッキングがボコボコになっていたり、建物の周りがちょっとやられている感じでした。
内部の一部が避難所として使われており、我々のような支援者は裏口から出入りしていました。
集落を見渡すと、所々屋根にブルーシートがかけられており、やっぱり被災地なんだなと実感しましたが、比較的被害が少なめの印象も受けました。

水道が復旧途上でして、庁舎内のトイレは使えるものの、紙は流せない状況でした。
役場周辺も、まだ一部断水が続いていたり、下水道が使えなかったりと聞きました。
なので、飲食店はほぼ閉店していました。

夕方、町長以下町の幹部が集まって災害対策本部会議が開催され、それを傍聴しました。
各課から所掌にかかる復旧状況や今後の見込みなどが報告され、町幹部があれこれ質問するようなこともありました。

会議終了後、前任者とともに宿に戻りましたが、その前にコンビニで夕食を調達しました。
宇出津にはコンビニ1店、Aコープ1店、スーパー2店がありますが、18時~19時には閉店するため、遅くなる時は先に買っておき、なるべく19時までには退庁するようにしていたと聞きました。
宿は町役場から車で10分ちょっとのところにある「ふらっと」という民宿です。
ここも被災しており休業中なんですけど、数代前の派遣者が町の課長さんにお願いしてもらい、ここに宿泊するようになったと聞いています。
数代前まで、宇出津の民宿にいたそうなんですけど、水が使えず不便だったんですけど、ふらっとさんは水が使えるということで。(つまり、トイレと風呂が利用可能。)
素泊まりで、ということでしたけど。

この日は10畳間に4人で寝ましたが、まあさほど窮屈ではなかったです。
風呂は檜風呂で、なかなか気持ち良かったです。
ここお風呂は肌がつるつるになると前任者たちが言っていましたが、湯は普通の水道水とのことで、調べた結果、phは6.9でほぼ中性、硬度が20程度とのことで、きっと硬度が低いのでそう感じたのだろうと思いました。
弱アルカリのぬるぬるとはちょっと違う感じでしたし。

この夜は酒盛りして風呂を楽しんで終わりました。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。