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人生2度目の原爆資料館訪問 [雑記]

皆さん、こんばんは。

昼間は多少青空の覗いている時間帯もありましたが、概ね曇り空で時々雨粒が落ちてくるような一日でした。
また、エアコンをつけるかどうか悩ましい体感でしたね。

さて、今日は娘と母と一緒に原爆資料館を訪問しました。
原爆資料館はいつだったかな、子供の頃に訪問して以来、多分40年ぶりぐらいの訪問となりました。
幸い直系の先祖に爆死した人がいなかったので、原爆2世であることに触れたくない自分がいたのだと思います。
有料エリアの常設展は時間の都合で回りませんで、祖母の寄贈品が展示されている企画展のみ見学しました。
https://hpmmuseum.jp/modules/event/

今の紙屋町は、昔猿楽町と呼ばれていたようですね。
祖母は幼少期からこの町で育ち、現エディオンの創業者(久保道正氏)とも顔見知りだったとか。
祖母の下駄、ちゃんと展示されていました。
下駄だけかと思ったら、友達と4人で宮島に遊びに行った時の写真も展示していて、見ただけでどれが祖母か分かりました。
あとは曽祖父が営んでいた会社が写った写真も展示していました。
あまり詳しく聞き及んでいなかったことが、今日いろいろと明らかになりました。
当時の地図と今の地図を重ね合わせた地図が飾っていましたが、確かにエディオン本店の場所に会社があったようです。
広島のど真ん中ですし、祖母が自分はお嬢様だったと言ってるのも、まあ本当だったのかもしれません。

曽祖父の名と祖母の名は、日本という国が続く限り永遠に残されるのでしょう。

続いて国立広島原爆死没者追悼平和祈念館にも行ってみました。
これは20年前ぐらいにできた施設で、被爆者の写真と名前、被爆時のエピソードなどがデータベース化されています。
祖父も被爆者で10数年前に亡くなっているので検索してみたところ、被爆時のいきさつなどとともにヒットしました。
書いている内容以外に聞き及んでいることを、母が娘に伝えていました。
ついでに曽祖父母も検索したら、ちゃんと出てきました。
大伯父・大叔父にあたる人も被爆者で亡くなっていますが、子孫が登録していないのでしょうね、それらの人々は検索結果に表示されませんでした。
曽祖父は自分が幼稚園児の頃亡くなったのを覚えていますが、曽祖母はずいぶん前に亡くなっていたと聞かされていただけで、初めて写真を見ました。

親父が亡くなったら、自分が登録しないといけません。
親父の名前は、既に祖父のエピソードの中に登場していましたが…。
そういう意味でいえば、登録者として自分の名前も永遠に残されるわけですなぁ…。
親父を検索してくれる人がいれば、初めて表示される感じですが。
娘には、結婚して子供ができたら見に行くよう伝えておきました。

今、ロシアによるウクライナ侵攻で、核戦争の危機が非常に高まっているように感じます。
こんなことは二度とあってはならないと思いますが、防ぐために我々にできることは何だろうと考えさせられます。
ただニュースを見て一喜一憂するしかないのでしょうか。

先ほど、自分の直系尊属に爆死した人はいないと書きましたが、曽祖母は被爆の数年後に子宮ガンで亡くなっているので、多分原爆症でしょう。
祖父も60歳頃胃がんを患いました(亡くなったのは90歳ぐらい)ので、全く影響がなかったとは言い切れないと思います。
ちなみに、祖母は百歳を目前にしてまだまだ元気です。
先月新型コロナに感染していましたが、1日微熱が出ただけで済んだと聞いています。
このDNA、自分にもちゃんと引き継がれているといいな(笑)。

今日は平和学習の一日となりました。
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