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昔のロードバイクにワイドリムは入るのか [自転車]

皆さん、こんばんは。

最近CLXの維持の事でいろいろ悩みがあります。
主には脱10速の方法とホイールの交換の2点です。

現状で脱10速しようと思うと、12速にしてDi2化する、もしくはスラム化するしかありません。
ただ、Di2化するには内蔵できませんし、スラム化するとアフターパーツの問題が発生し、どちらもデメリットが気になるところです。
機械変速の105が登場するという噂もあるので、それに期待するしかないのかな。

続いて、ホイールの交換です。
現在、フロントにWH-9000-C24-CLを、リアにWH-R9100-C40-CLを使っています。
R9100のフロントは、昨秋の落車で破損してしまいました。
シマノにちょいちょい確認しているのですが、交換用のリムを製造する気はないようですので、あきらめるしかありません。
リアのWH-9000はもちろん持っていますが、空力や剛性を考えると、あまり使いたくないんですよね。
軽いのでヒルクライムには向いていますが、平地では加減速の多いシーンでしか役に立たないように感じます。

ディスク化が進み、高性能なリムブレーキ用ホイールは激減しました。
カンパだとBORA WTOの33、45、60があり、45だとWH-R9100とほぼ同重量ですが、お値段がほぼ倍…。
33だとリム高がほぼ同じでかなり軽くなりますが、やはりお値段がほぼ倍…。

そんな中、Lunやマビックが財布に若干優しく、しかも軽量化できるという具合です。

ただ、昔のホイールはC15で、23Cを履くと23mm前後になる設計だったのですが、今のホイールはC19なんですね。
そう、2mmほど太くなっています。
ブレーキのアーチ幅の問題が発生します。

通常のセッティングだと、リムから1mm程度開いた状態でセッティングしますので、単純に2mm太くなると、その分ワイヤーの引きを緩める必要があります。
場合によっては入らないことも考える必要があります。

物は試しにと、CLX(ブレーキはBR-6700)にCOSMIC SLR 45 DISCを入れてみました。
アーチを開放した状態でブレーキパッドがリムに接触していました。
ワイヤーを緩めれば、このリムの太さなら使えるかもしれません。
聞くところによると、カーボンリム用のブレーキシューには、薄型が存在するそうですし。
ちなみにネット情報では外幅は26mmらしいです。

LunのHYPERシリーズは軽さがとても魅力的ですが、リム外幅が27.6mmとか27.8mmとなっています。
なので、BR-6700だと使えないかもしれませんね。

となると、COSMIC SLR 40一択かもしれません。
お金がなく今すぐ買う訳にはいきませんので、交換する日を夢見て毎日を頑張ることにします。
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呉娑々宇山の偵察に行ってきました [自転車]

皆さん、こんにちは。

午後になると時々雲がかかり、日差しが遮られる時間帯がありました。
まあそれでも気温は33度近くまで上昇しまして、暑いです。

さて、そろそろ乗鞍を意識したトレーニングをしなければと思い、呉娑々宇山の様子を見に行ってきました。
春ぐらいに行った時は、途中の通行止めを超えしばらく走ったものの、土砂や木々が散乱していて途中で断念しました。
今回は梅雨明け直後で期待薄でしたが、行くだけ行ってみようと思いました。

しかし、暑かった(苦笑)。

府中町の瀬戸ハイムを上っているだけで汗が噴き出してきて、ボトルの水がみるみる減っていきました。
揚倉山を上っている最中は汗が滝のように流れ出て、干からびてしまうのではと思いました。
それと同時に、暑さで頭がグラングランでした。
熱中症の一歩手前ってやつですかね。
暑熱適応できているといっても、ここまで暑い最中に運動する機会は普段ありませんし。

呉娑々宇山林道の入り口に到着して、日陰で一息入れました。

足取りは重く、通行止めがあればそのせいにして下山するのになと思いつつ登っていました(苦笑)。
府中霊園手前の13%程度の激坂は軽いギアのおかげで何とかクリアできましたが、しんどいばかり。

水分峡からのルートと合流してしばらく上った辺りで通行止めでしたが、その手前ぐらいから道路上は土砂で覆われ、その上を水が流れるといった感じでした。
ハンドルを取られて、走行は無理と判断し、Uターンしました。

下り坂で一息つきましたが、府中霊園の下で一度登るんですよね。
ここが気持ち的にちょっと辛かったです。

林道を抜けましたが、ボトルの残量が僅かでしたし、暑いので、そのまま帰宅することにしました。
県道をハイスピードで下り、平たん路に出た時はホッとしました。
でも、我が家の標高は116m、いったん125mぐらいまで登る必要があります(苦笑)。

暑さのせいで、半分心が折れかけていましたね。

何とか家に戻ることができ、洗車した後、自分もシャワーを浴びましたが、生き返るとはこういうことだと実感しました(笑)。
走行距離は20km強、獲得標高は550m程度でした。

乗鞍だとあと700m登らにゃいけん。
大丈夫かなぁ…。

心配なので、ぼちぼち高強度の練習ばかりにしようかなと思っています。
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117系が定期運用から外れたそうな [雑記]

皆さん、おはようございます。

水曜日に梅雨明けし、暑い夏がやってきた広島。
昨日今日と、少しだけ朝の気温が下がりましたが、暑い日々が続いているのには変わりないです。
外出時以外はずっとエアコンが付いた部屋にいる感じです。

さて、岡山方面のローカルニュースがネットにも流れていますが、ついに117系電車が定期運用から外れたそうですね。

117系のデビュー時、自分は奈良に住んでいましたので、よく覚えております。
その後神戸に引っ越し、小学校のクラスで毎年年度末ぐらいに文集を作っていたのですが、その中で同級生が名付け親になったと自慢していました。

親父が大阪方面に電車通勤していましたので、多分親父は毎日のように乗っていたのだろうと思います。
明石駅が最寄りでしたが、当時の明石駅の新快速ホームはほんとボロボロで、緩行線ホーム(各駅と快速のホーム)の方がにぎわっているといった感じでした。
もっとも、新快速が走る線路はそもそも急行線で、今みたいに毎時4本とか、そんなに走っていなかったように思います。
また、途中の通過駅にホームがない(当たり前ですが)のも、子供心に衝撃的でした。
自分も親父の仕事場についていくのに、朝のラッシュ時に新快速に乗ったことがありますが、大人の世界は大変だなと思ったのを覚えています。
当時は、姫路始発で、加古川、明石、神戸、三宮、大阪、京都(終点)が停車駅でした。
西明石と新大阪を飛ばすというのが、今思うとちょっと衝撃的ですけど。
それを思うと、今はずいぶん停車駅が増えたものです。

神戸に住んでいたことで各駅、快速、新快速、それに山陽電鉄と、電車を見る機会が多かったので、乗り物好きになったのかもしれません。
もちろんですが、103系の各駅、113系の快速にもちょいちょい乗っていました。

中学から広島に帰ってきまして、親父が単身赴任で神戸に残っていたので、長い休みには神戸に行き、三宮方面に出る時にはちょいちょい乗っていました。

そのうち221系がデビューし、自分の中ではこれまた衝撃的な出来事でした。
221系のデビューから新快速の最高速が徐々に引き上げられていき、117系新快速の本数が減っていったのはとても残念でした。
新快速が減速せず分岐を走り抜けていく際の横揺れは、子供の頃には面白く感じたものです。
223系が出て130km/h運転するようになってからは、一層横揺れが激しくなったような気がします。

1992年ですかね、岡山でサンライナーとして転籍してきたのも鮮明に覚えています。
ポンコツ115系ばかりの広島には転籍せんのんじゃ~とがっかりした記憶も(苦笑)。
皆さんの記憶にも新しいと思いますが、広島に227系が導入されるまで、そのがっかりは2015年ぐらいまで続くことになりましたとさ。
ただ、不要となった中間車が115系に改造され、広島に来ていることを2000年ぐらいに知りました。
2ドアの115系なんかなかったよな~と気づいたのが事の発端です。

普段、山陽本線に乗る機会がないですので…。

社会人になり、岡山や下関に出張する時に、ちょいちょい117系に遭遇する機会がありました。
新快速当時ほどかっ飛ばさなくなった運用に、少し哀愁を感じたものです。
でも、サンライナーは途中、笠岡、新倉敷、倉敷しか止まりませんでしたので、福山から岡山に行く時にはありがたかったです。(ウィキペディアによると、他にも停車する便があった模様)

そのうちサンライナーも廃止され、117系もいよいよ引退かなと思っていたのですが、ついにその日が来てしまったようです。
今日から岡山にも227系が導入され、多分115系なども徐々に廃車されていくのでしょう。

117系と重なる思い出はいろいろありますが、いつか懐かしく感じる日が来るかどうか分かりません。
そのため、その思いの一部を書き記した次第です。
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